中学校入学当初、私は意気揚々としていました。
受験に合格したことで「選ばれし者」になったような・・・ 高揚した気持ちだったのを覚えています。
小学校時代はずっと優等生で通してきた私です。当然、中学3年間も同じように過ごせると思っていました。
しかし、現実は私の想像とはまるで違っていました。
本物の優等生ばかりの環境で無気力に
その中学校には、当然のことながら、小学校時代に成績優秀でリーダー的存在だった生徒ばかりが集まっていました。
しかも、私のように雰囲気だけでやってきた人間とは明らかに違う、本物の「優等生」たち・・・ 必要な勉強を積んだ上で、基準をクリアして入学してきた人たちばかりでした。
私がまるで理解できず、集中力も保てず、興味すら持てずに投げ出してしまったあのスーパー難しい受験勉強を、きちんとやってのける頭脳と集中力、そして自制心を持った集団だったのです。
4月はまだ教室でイキイキと発言していた私ですが、小学校のころのように周囲から尊敬の眼差しを集められていないことにはすぐ気がつきました。
思えば、私はただ「小学生にしては読解力が高い」というだけで、成績を維持していただけだったのでしょう。
1学期が終わる頃には、授業に全くついていけなくなり、早々に抜け殻のようになっていました。
集中力を保てず、授業中眠くなる
中学入学と同時に、どの教科も授業の難易度がグンと上がりました。
中でも特に数学と理科には興味を持てず、苦手意識どころか「自分には不可能」だと感じてしまうレベル。
興味のないテーマについて、集中力を保つことが難しかったのです。ADHDあるあるかもしれません。
教師が何を言っているのか全く理解できず、他の生徒の発言もチンプンカンプン。自分から手を挙げて発言などできるはずもなく・・・
授業が面白くなくなると、途端に意識を保てなくなりました。
それまでは「ドラえもん」でのび太が授業中に居眠りするシーンを見て、「アニメの中だけの話」だと思っていました。
それがまさか、自分が同じような状態になるとは…。
授業中、議論の輪に入ることも、理解することも、興味を持つことすらできず、ただ「早く一日が終わればいい」と思いながら、ウトウトするだけでした。
興味が持てないと、脳が勝手にオフになってしまうのでした。
テストの順位は常に最下位
そんな状態で、中間・期末テストで結果を出せるはずもありません。
120人ほどの学年だったのですが、私の総合順位は3年間を通じて常に3桁でした。
120人中、112位とか、そんな感じ。
でも実際には同点もいたでしょうから、ほぼ毎回最下位だっただろうと思っています。
周囲を見渡しても、私ほどやる気のない生徒はいませんでしたから。
元々体育が苦手だった上に、勉強までもできなくなってしまった私は、優秀な同級生たちの中で何一つ光るものがありませんでした。
その結果、次第に周囲と話すのが苦痛になっていきました。
治らない忘れ物、うっかり・・・
小学校の頃と同様、忘れ物癖も一向に治りませんでした。
お弁当を忘れて、出勤前の母に学校まで届けてもらったことも一度や二度ではありません。
教科書、ノート、プリント、宿題… よく忘れたし、失くしました。
こんな基本的なことで困っている生徒は、私以外にはいなかったのではないでしょうか。
そして困ったことに、小学校の頃のように誤魔化しが効かなくなり、自分が如何にだらしないかが周囲にも露呈し始めます。
また自分が困るだけならまだしも、私のぼんやり・うっかりが、同級生に迷惑をかけることもありました。
自分のものと間違えて、他人の通学バッグを持ち帰ってきてしまったことが何度かあるのです。
帰宅後に荷物を下ろして、見慣れないキーホルダーがついていることに気づく、と言ったパターンでした。
クラスメイトは呆れていたと思います。
「だからダメなんだよ!」
一度、宿題を忘れたか何かで、社会科の教師にこっぴどく叱られたことがありました。
「だからダメなんだよ!」
その教師がそのセリフの前後に何を言っていたかは思い出せませんが、この言葉だけは今でも脳みそに突き刺さっていて抜けません。
職員室ではどうにか堪えましたが、更衣室で声を殺して泣いたのを覚えています。
普段は「先生からの評価なんてどうでもいい」と思っていた私でしたが、この時ばかりは自分のあまりのだらしなさが恥ずかしくなりました。
授業にはついていけない。
でも努力できない。
宿題も忘れる。
みんなのように、論理的に話せない。
何に対してもやる気を持てない。
両親もがっかりしているだろう。
だからダメなんだよ・・・ だからダメなんだよ。
正直なところ、中学生活のことは他の時期と比べて覚えていることが少なめです。
素晴らしい出来事はたくさんあったのかもしれませんが、それらは全て他人のもので・・・ 私は外からボーッと眺めているだけだったからです。
つまり、全てにおいて(心理的に)「蚊帳の外」でした。

