私は不注意優勢型のADHDです。
「不注意優勢型」というのは、多動や衝動性は目立たず、忘れ物やうっかりが多いタイプのADHDのこと。
小学校低学年の頃には、すでに不注意の兆候が現れていました。
優等生ではあったが・・・
当時は誰も、私に問題があるとは思っていませんでした。
私自身を含め。
というのも、私は「いかにもぼんやりした」タイプではなく、どちらかといえば優等生だったからです。
6年間を通じて体育以外の成績はずっと良く(算数は他の教科と比べるとやや劣りましたが)、毎年学級委員も務めていました。
もちろん、授業態度も真面目。よく手を挙げて発言していました。
学級会や課外活動、文化祭ではリーダー的なポジションに就くことも多かった。
書き初め大会は毎年金賞でした。
それでも確かに現れていた、ADHDの兆候
両親とも私を優等生だと思っていましたし、私自身もそう思っていました。おそらく先生たちも。
そのため、何の対処もできないまま小学校生活を送ることになりました。
平成初期という時代のせいもあったでしょう。
でも実際には、さまざまな不注意により家庭や学校での生活に支障が出ていました。
忘れ物が多い
まず、低学年の頃からとにかく忘れ物ばかりしていました。
教科書を忘れては、別のクラスの友達に借りにいっていました。
ノートもよく忘れ、忘れた場合は別の教科のノートを上下ひっくり返して逆から使っていました(分かります?笑)。
例えば算数と理科のノートはマス目が同じだったので、開いて書いている限りは周りにはバレません。
成績が良く、忘れ物もごまかせてしまったため、私の忘れ物が多いことが表面化することはありませんでした。
部屋を片づけられない
5年生の時、自宅の建て替えにより自分の部屋を手に入れました。
出窓つきの憧れの「自分の部屋」でしたが、残念ながら綺麗な状態を保つことができませんでした。
片づけや整理整頓が苦手なため、机の上も、クローゼットも、ベッドの下の収納もぐっちゃぐちゃ・・・ 母からは叱られっぱなしでした。
掃除をしても、3日もすれば元通り。
弟たちの部屋と比べても私の部屋の方がはるかに散らかっていたし、床やドアの消耗も早いように感じました。
親の言いつけを忘れる
このほかにも、親から言いつけられたことをしょっちゅう忘れました。
当時PTA役員をしていた母から、「校長先生に渡してね」と言われて預かった手紙を、そのまま持ち帰ったことがあります。
朝、玄関を出ると同時に手紙のことなどすっかり忘れてしまったのです。
母からは「あんたは全然人の話を聞いていない!」とこっぴどく叱られ、その日はおやつを食べられませんでした。
図書室から借りた本を返さない
図書室から借りた本を返さずに、家に本の山を作ってしまったこともあります。
借りた本を返さないまま、次の本を借り続けた結果です。
貸出カードにタイトルを書くだけで借りられたので管理が甘く、このようなことができてしまったんですよね・・・
屋根裏に隠しておいたのですが、結局親に見つかって叱られ、卒業式直前にそっと学校に返しに行きました。
虫歯が多い
親の「仕上げ磨き」がなくなった頃からでしょうか。
あちこち虫歯ができ始め、治療を繰り返すようになりました。
私は甘いものが大好きだったのですが、歯磨きが甘かったのでしょう。
朝の登校前やお出かけの前などはしっかり磨いていましたが、寝る前の歯磨きは面倒でスキップしてしまうことが多かったです。
※当時は予防歯科の考え方がまだ一般的ではなく、3ヶ月ごとの定期検診なども受けていませんでした。そのため、学校の歯科検診で指摘されるか、実際に痛み始めるかするまで、歯医者にいくこともなかったのです。
衛生管理ができない
使った給食セット(箸箱やコップ、ランチョンマット)を持ち帰っても洗わず、翌日そのまま持っていくことがありました。
冬の朝は着替えるのが寒いからと、前夜に翌日の服を着て寝ることも。
体育着や上履きを、汚れたまま使うこともありました。
それでも小学校の頃は母親が身支度に介入することが多かったので、家では叱られながらも、学校では「不潔」の烙印を押されずに済みました。
体育が極端に苦手
運動全般に苦手意識が強かったです・・・ これは、今でもです。
特に走るのが異様に遅く、毎年冬の持久走大会では、中学年以降ずっと最下位でした。
ドッジボールもサッカーもバスケも、チームに迷惑をかけると思いやりたくなかったし、跳び箱も飛べませんでした。逆上がりも、倒立も無理!
ADHDは運動が苦手なケースが多いと言われますが、私はまさに典型的だったと思います。
なんというか、身体の動かし方がよく分からないんですよね・・・
いじめのターゲットになることも
時々、いじめの対象になることがありました。
その時の対処法?が、今振り返ってみればいかにもADHD的でした。
例えば小2の3学期のこと。4人の生活班の中で、私はひとり仲間はずれにされていました。
不思議なことに、この時の自分の感情をほとんど思い出せないのです。
先生や親に相談した覚えも、相談しようと思った記憶もありません。
彼らが私に、悪意を向けていることはわかる。そして「仲間はずれ」という、良くないことをしているのもわかる。
でも、それに対して自分がどう反応したら良いのか分かりませんでした。
6年の最初にも、あるグループの中で「パシリ」的な扱いを受けていたことがあります。
もちろん、親にも学校にも相談せず。
この時も、自分が利用されていることに気づいていないフリをしていました。
それ以外にどう反応したらいいのか、分からなかったんですよね。
ADHDはワーキングメモリが弱いため、こうした局面でどう対処すべきかが分からず、思考停止状態になるそうです。
悪意を向けられると、混乱して思考が止まってしまう…
実を言うと私のこのパターンは幼稚園の頃からそうで、社会人になっても変わりませんでした。
不釣り合いな中学校を受験、そして
最終的に、私は大きく選択を間違えることになります。
私を優秀だと思い込んでいた母に乗せられるまま、地元の難関中学の受験を決意。
しかし、受験勉強のために父が買ってきた参考書や問題集は、まるで歯が立ちませんでした。
当然ですが、これまで解いてきた学校のドリルやテストとは全くレベルが違うのです。
解けないだけでなく、興味すら持てず、そうなるともう机に座っていることすらできませんでした。
「これでは本番もボロボロだろう」と思っていた通り、実際の試験も全く手応えのないまま終了。
会場を後にするときは、完全に「落ちた」と思って帰宅しました。
ところが・・・ おそらく、内申点がとても良かったのでしょう。あるいは、面接で「何か」が良いと思われたのか。
一週間後、まさかの合格通知が届きました。
実力は全く足りていなかったのに、合格してしまったのです。
こうして私は、自分には不釣り合いな環境へと足を踏み入れることになりました。
ここからが、本当の意味での苦労の始まりだったのです。

